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歌うたいの洋服製作と犬日記

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クラシック音楽を歌いながらオリジナル洋服の製作をしています。五感に響くクリエイティブを目指してます。(ワン子と人のごちそうレシピも紹介。)

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自分を奮い立たせてみる。

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帰り道、
an die Musik を口ずさんだら、
目に飛び込んでくるお月様。

何回も弾いただろうと友人の言葉。

その時代の空気を伝えられる人はもう少ない。

燻る暇はないのかもしれない。

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時の流れに身を委ねること。

委ねるって難しいことだと思う。
それも自身の中で起こることなら尚更。


ここ数年、
通っているドイツリート解釈の先生のコンサート。
ソロも弾かれて底力を体感する。
ある意味での潔さ。
音楽とは「時間の芸術」そのままの演奏で、
自己の満足に収まらない演奏が素敵だった。
自分が指揮者として音楽に携わるとき、
先生のそういうエネルギーで音楽出来れば自分の理想に近づけるような気がした。

次の土曜は自己満足に終わらない演奏にしたいなと。

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久しぶりにアップしてみた。

一年くらい前から喉を中心に体調が悪い時が多く、
全く声が出なくなった一年前に声帯結節になる寸前と診断されて、
その後は良くなったけれども、
軽い風邪を繰り返したり、
年明けは声嗄れも酷くなり、
人生初めてのインフルエンザ陽性・・・、
鼻炎が最高潮の時は全く鼻で呼吸もできなくなりました。

体と声の事を気遣って、
ストレッチ等に真面目に取り組んだ時期と重なり、
体の進化?!過程の登竜門かしらとポジティブに考えたりもしました。
(今では硬かった体が柔かくなって呼吸が楽になったような気がしますが。)

最近、
大きな病院で診察して頂いたら、
「逆流性食道炎」ということがわかりました。
毎夜、
咳で目が覚める原因はこれだったと判明しました。
声帯の疲れで咳が出ていると思っていたのですが、
理由が違っていたようです。

声帯の周りの壁が若干荒れています。
声嗄れもこの原因だったようです。

今は、
胃酸を抑える薬と寝る時は枕を高くする処置で咳が減ったように思います。
(ここ二、三日は全くありません!)

喉の調子も戻ってきたように思ったので、
試しに春の谷川俊太郎さんの展覧会で展示されていた「りんご」に触発されて、
帰宅後に声を出して読んでみたテキストを読んでみました。

数ヶ月も眠らせておいたわりにはスラスラ読めます。
文章が良いのでしょうねえ。





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心地よい靴。

昨日、土曜日にファミリーセールで買った黒いヒール無しのショートブーツ。
試しに今日履いて出かけた。
久しぶりのファミリーセールだったけれども、
当たりの靴を見つけられて大満足。
靴が合わない一日は常に気になってしまってストレス…。
履いていて布団にくるまっているような心地よさは本当の当たり。
3足購入して、
後の2足もバッチリ合うと気持ちいいなあ。

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師匠が亡くなった。
先週金曜日のH先生のコンサートから、
皆が滅入ってると感じざるを得ない日が続いているかもしれない。
私はそれをとりあえず自身の身体能力で補おうとしてるのかも。
何で心を埋めようか…。

以前、マーラーの四番を何故にレッスンしてもらおうかと思ったか…。

「貴女のヒンメルはそんなもんですか」、
と言われたようなレッスンで...、

全く言葉だけの理解ではないレッスンだったように思います。


あれだけ愉快な所なのだから。

それは体から響く愉快な音自身なのかしら。


一生かけてもらった課題のようで。


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体、柔軟に。

五月の半ばに喉を痛めた。
GWから体調を崩して、
最後に辿り着いたのが、
喉の疲労から極小さな結節。
実際、結節が無くなるまでは一週間だったけれど、
声に違和感が無くなるまでは一ヶ月くらいかかった。

からだ改造計画を始めたのはそのことがあってから。

二ヶ月が経って、
体重は2キロ減、体脂肪も少し減ってからだが軽い。

何よりも柔軟、ストレッチで息の通りがスムーズになったような気がする。

暫くシューベルトを歌って基礎を見直していた。

今日、久しぶりにシューマン、ヴォルフ、シュトラウスを歌ってみる。

心なしか声が高音で伸びていくような気がして嬉しい。

柔軟の効果?

柔らかくなると自在に関節が動いて逆に不安定。

ブレスで支えるって、
この状態を、
ただ真っ直ぐに積木を積むようにする感覚か。

だとしたら力で支えることは必要ないのだけれど。

上手く積めるようになりたいと思う。

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梶井基次郎作「檸檬」を朗読した。

いつの時からか、
読んでみたいなあと思っていた梶井基次郎の「檸檬」をやっと録音してみた。
昨年秋くらいから、
時間を見つけては声に出して読んでいたものの、
(思い出しては読んでみるくらいの緩い感じですが。)
なかなか自然に読めなくて、
どうしても読み間違えてみたり止まってしまったり…。

文体に慣れてきたこともあってか、
最近やっと自然に息が通るようになって、
ミスが各段に減りアップに漕ぎ着けました。

二十数分の短い文章ですが、
テンションの上がり下がりが面白く、
「不吉な塊」と「檸檬」の対照も魅力的です。
声でそれを表現できたらと思いトライしてみました。



「私はもう往来を軽やかな興奮に弾んで」
この部分が声に出して読むと気持よく、
一番好きな文章です。^^


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結局のところ第二音節というのは。

ヨーロッパ的な冠詞から続く、
ドイツ語でいうなら語頭が強拍から始まる言語の、
もち上がりのエネルギーを蓄えた音楽上では強拍ってことで、
折衷的に使える日本語は非常に便利な言語?!


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第二音節にいい音楽を。

標準語としてくくった方が良いのかもしれないのけれど…。
(京言葉は頭高イントネーションなので…。平安の標準語かな?)


日本語、
言葉をどう歌うかというよりもどう響かせるかと考えると、
日本語の第二音節をどう歌うか、その前の第一音節をどう歌うかで曲がどう変わるのか。
そんなことを考える一日だったのかもしれない。
日本語は語頭が拍頭にもなりアオフタクトにもなり得る言語なのだと思う。
第二音節が高いイントネーションになるからだ。

拍頭に響かせたい音色で音楽が決まってしまう恐ろしさ、楽しさ。
拍頭が単語のイントネーションの強節になることが全世界の共通でもある。
それが面白いことに、
日本語はイントネーションの語頭の低音節の部分が強拍にもなり得るからだ。

で、
強拍でもありアオフタクトにもなり得る第一音節でもある拍と、
第二音節の中高のイントネーションを自分が必要だと思う音色で響かせられれば、
情感籠った日本語が歌えるかな。


今日のまとめ。

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