歌うたいの洋服製作と犬日記

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クラシック音楽を歌いながらオリジナル洋服の製作をしています。五感に響くクリエイティブを目指してます。(ワン子と人のごちそうレシピも紹介。)

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梶井基次郎作「檸檬」を朗読した。

いつの時からか、
読んでみたいなあと思っていた梶井基次郎の「檸檬」をやっと録音してみた。
昨年秋くらいから、
時間を見つけては声に出して読んでいたものの、
(思い出しては読んでみるくらいの緩い感じですが。)
なかなか自然に読めなくて、
どうしても読み間違えてみたり止まってしまったり…。

文体に慣れてきたこともあってか、
最近やっと自然に息が通るようになって、
ミスが各段に減りアップに漕ぎ着けました。

二十数分の短い文章ですが、
テンションの上がり下がりが面白く、
「不吉な塊」と「檸檬」の対照も魅力的です。
声でそれを表現できたらと思いトライしてみました。



「私はもう往来を軽やかな興奮に弾んで」
この部分が声に出して読むと気持よく、
一番好きな文章です。^^


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結局のところ第二音節というのは。

ヨーロッパ的な冠詞から続く、
ドイツ語でいうなら語頭が強拍から始まる言語の、
もち上がりのエネルギーを蓄えた音楽上では強拍ってことで、
折衷的に使える日本語は非常に便利な言語?!


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第二音節にいい音楽を。

標準語としてくくった方が良いのかもしれないのけれど…。
(京言葉は頭高イントネーションなので…。平安の標準語かな?)


日本語、
言葉をどう歌うかというよりもどう響かせるかと考えると、
日本語の第二音節をどう歌うか、その前の第一音節をどう歌うかで曲がどう変わるのか。
そんなことを考える一日だったのかもしれない。
日本語は語頭が拍頭にもなりアオフタクトにもなり得る言語なのだと思う。
第二音節が高いイントネーションになるからだ。

拍頭に響かせたい音色で音楽が決まってしまう恐ろしさ、楽しさ。
拍頭が単語のイントネーションの強節になることが全世界の共通でもある。
それが面白いことに、
日本語はイントネーションの語頭の低音節の部分が強拍にもなり得るからだ。

で、
強拍でもありアオフタクトにもなり得る第一音節でもある拍と、
第二音節の中高のイントネーションを自分が必要だと思う音色で響かせられれば、
情感籠った日本語が歌えるかな。


今日のまとめ。

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自分自身とすり合わせる。

酔っ払いでブログを更新するのはどうかな?と思うけれども…。

すり合わせる。
加齢による世間とのテンポ感とか、
テンション(音楽でいうところの声楽家としてのピッチ感、体に感じる圧)を、
自身の中で擦り合わせる必要がそろそろあるのかもしれない。

合唱のアンサンブルをしていて、
またリートにおけるピアノとのテンションが今まで通りでよいのか…。

今まで♭(平ら)であっものが物理的に♯(鋭く尖らす?ことに対する説明付け)になること…。

このことに対して私は敏感に受け止める必要があるのではないか…。

重大に受け止めるほど歳は取ってないのだけれど…。
でもそれは音楽と言葉を扱うものとして敏感に反応したい。

明らかに二十代とは違う音楽を感じているのは確かで、
身体的に三十代とも違う音楽をしたい、しなければならないという欲求がふと沸いてきた。

それは衰えるという言葉だけで表すものとも違うし…、
(体は確実に衰えているので、という対処法を見つけることも踏まえてなのだけれども。)
それを越えて楽になる部分とか…、
より充実した音楽を感じる、感じたい。

そういうところに目を向けて新たに、
改めて音楽作りをしていきたい。


それと同時に身体はと別な方向から、
言葉!
言葉を主観なしに客観的に捉えたときに見えてくる音楽とはどんなものか…。

この夏は朗読に力を注いでみた。
客観的に言葉をどう捉えるか、
プロミネンスを冷静に感じたときに見えてきた言葉のリズム、面白さを音楽に活かせたら!!

私の初級のドイツ語も自分の言葉になりそうな気がする。

言葉を音色にすることが面白く、
それを根に言葉を理解したいと思って声を作っている私へのエールとして……。

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休符。

八分休符をどのように歌おうか。
じゃあ四分休符だったら?


今日はそんな事を考えることが多くあった一日だった。
レッスンで、合唱の指揮で、自作合唱曲の直しで…。


日常の生活の中で、
そんな一瞬の時間の為に、
ああでもない、こうでもない…、
と考える贅沢な時間。

私にとって休符とは、
体が健やかでいられる為の大事な一瞬と言いたいのだけれど。。

忙しない社会で、
そんな一瞬の意味を考える音楽家は浮世離れしているのかもしれないけれど、

考えることの出来る環境に感謝。
贅沢な話だなあと感じた一日。

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イタリア映画の農民たち。

イタリア映画の「父パードレ・パドローネ」(パオロ・タヴィアーニ&ヴィットリオ・タヴィアーニ監督)をテレビで、
「木靴の樹」(エルマンノ・オルミ監督)を映画館で近い時期に二本観た。
幼い息子に対しての父親像が正反対に描かれていて、
どちらも観てしまうと戸惑うけれども、
背景には同じ空気が流れているような…。
それぞれ二本とも数ヶ月経っても映像がしっかりと頭に残るだろう、
とても良い映画だった。

今では「田舎暮らし」が心の潤いのように紹介されることもあるけれど、
(確かに美しい田園風景には憧れる…。)
美しい農村風景があるのは、
国の政策とか、
技術の進歩とか、
人のモラルの向上とか、
生活することのその上を目指す意気込みとか、
色々あっての美しい風景、美味しい農産物なんだろう。
都会に住んでいる私は感謝するしかない。

あの映画を観て、
私にはその時代に目線を合わせようとするなら、
「苛酷」な農民生活という言葉が一番最初に思い出されるかな…。
映画に対してネットで「美しい風景」とコメントしているのも目についたけれども。
(映像は文句なく綺麗でした。)

それにしてもイタリア映画をどうしてこんなに観たいと思うのか。
ついつい観てしまうイタリア映画。


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言葉を発するとき。

午前中に自宅で朗読の録音を一本。
独学とはいえ、
だいぶ年季も入ってきて、
自分の声にしたいことが少し見えて気がする。
(一応は声に関してはそれなりにプライドを持って活動しているのだから…。)
心を声にする楽しさは、
自分なりの技術の上に発揮できるようになったように思い、
ちょっと嬉しい。
(自己満足かな。^^)

午後は声楽のレッスンをして、

夜は歌の師匠のリサイタル。

シューベルトの歌曲が歌を越えて、
語りになっていることに気持ちよく…。

「語り」に関して敏感になっている最近の私にとって、
師のレッスンで声を出すことの、
言葉を発することへの気持ちよさなくして積み重ねることの出来ない、
ドラマの築きかた、
感情の表し方…、
子音、母音ひとつに表すことの出来る幅の広さ…。

一時間のステージが面白くてしょうがなかった。


…言葉を発するとき、
その中でなら、私は何者にでもなれる気がする。


これを越えたところで、
また新たな表現を見つけていきたいと思った。

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まっさら。

合唱団で詩の朗読を、
ご指名あってやった。
それも詩の途中から。
突然のご指名で文脈全く飛んでいってしまって、
真っ白になってしまった自分に後になって気付いた。

主語が逆転してしまって…。

よく言えば思考がもの凄く即興的なんだろうなあ…。

読み始めるとそれは「あなた」ではなく「わたし」になってしまう怖さ。

自分に対するエゴやら劣等感やらがその時に一気に湧いてしまうのかもしれない。


失態…。


もしかしてそれは「あなた」でもあり「わたし」でもあるような錯覚を狙ったものであったなら…。

なんて都合よく考えてみたりして。

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素敵な美術館。







練馬の光が丘で演奏会が終わって、
空いた時間に近くに美術館を見つけ、
ちょっと寄ってみた。
落ち着くスペースを発見。
大きなガラス窓(手回しの鍵なんか付いた窓枠の建具が素敵だなあ。)から、
外の和風のアプローチを眺めると、

蝶がひらひら…。

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五月。

五月も終わってしまう。
五月というのは詩人たちの季節かなあと思う。
幾つも素敵な詩が生まれているなあと。
美しい緑を見に中部地方を数日旅してきました。

寺山修司さんの「五月」をアップしましたが、
旅行前に同じく寺山修司さんの短編「墜ちた天使」という恋愛小説をアップしました。
編集なしの(ドキドキの)16分ノーカットです。



ちょっとした短編を朗読したいなと思っていたら、
古本屋で寺山修司さんの恋愛短編集を見つけ、
冒頭からビビッときた。
最初の作品を声に出して読んでみる。

朗読していると映画を観ているようで、
シーンの色合いが頭の中に浮かびます。
映像も画像を少々加工して楽しめるようにしてみました。

ノーカットでの録音で、
後半で作品に入り過ぎた為か?…、
ちょっと崩れそうになりますが、
作品から良いインスピレーションをもらえたと思って、
録り直しはしませんでした。

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